白方です。 # これも出遅れてますが一応。 ## そしてすみません、さっきのメール、外部エディタで ## 編集していたらスレッド付け間違いました。 ## 再送するほどでもないかと思うので読み替えていただければ。 On 2021/11/10 13:39, matsuand wrote: >> さて、これで管理者全員の承認によってリリースされることになります。 >> ところで、これで当初の目的である「リリース物の品質向上」は >> 実現されているでしょうか? >> 私には向上しているとは思えません。 > > たとえ話をします。 > 贈与税というものがあります。申告税です。 > ... つまり「見られている感」を出すことで品質向上に繋げよう、 ということですね。まあそういう面はあるかもしれません。 ところで、現在の運用ではドラフトが出来たときにMLに流すことに なっていて、ドラフトの内容がML購読者全員に届きます。 購読者がドラフトを読んでいるかは直接は分かりませんが、実際 (ほとんど返信していない)私もたまに読んだりはしていますし、 現状ribbonさんは積極的に読んでくださっています。 さて、この運用で「見られている感」は十分に得られているのではないですか? 追加の作業をする価値はありますか? >>> 仮に苦情が寄せられた場合には、 >>> 「プロジェクトとしては関知しない。翻訳担当者に文句を寄せる >>> なりしてください」といった対応にもなりかねません。 >> >> と書いて頂いた話だと思うですが、これは誤解です。こうはなりません。 >> プロジェクトが責任を負わないのと同様、翻訳者や校正者も責任を負いません。 > > 前メールでお話ししましたが、対外的な(損害賠償問題に発展するような) > 責任と、道義的責任(?)は区別したいと思います。道義的責任 > ということばを持ち出すと、誤解を招きそうですが、要は > 各人ができるだけ高品質な翻訳成果物を提供したい > という気持ちのことを指します。 私がこの件で書いていたのは常に対外的な話です。 「苦情が寄せられた場合」「矢面に立たされる」という表現から対外的な 話をしていると解釈しました。 内部的には(コスパの許す限り)品質の良いものをリリースしたいというのは 当然です。ですのでこの後の話は基本的に成り立っていません。 さて、ここからは内部的な話をします。 内部的な話を考えるとしても、 > ということは、たとえプロジェクト内の校正確認作業内にて > 品質が悪い、低い、間違っている、と指摘されても、 > 自分が良いと思えば、リリースするので構わない、 > ということにつながりそうです。 実はこれは成立しそうに思えます。リリース判断は校正者が一人で 行うわけですから。 この答えはどうなるのか、ということは少し考えどころだったのですが、 突き詰めると「20年間これで問題が起きなかったから」 というのが答えになるのかな、と思います。 実際、メールコマンドによってコミットが行われていたときには、 誰でも(翻訳に関わっていない人でさえも!)リリースのメールを出せば リリースが可能だったわけで、現状よりもさらにゆるい体制だったと言えます。 それでも当時から問題は起きなかったのです。 わざわざ質の低い翻訳をリリースしようとするような人は なかなかいないのでしょう。 そして、近い将来問題が起きるとも思えません。 そのような状態のものに追加でコストを掛ける必要性は薄いのではないかと 思います。